2012年2月9日木曜日

月刊ムーの発見(1)ムーは誰が書いているのか?



2月3日の深夜、ロフトプラスワンで執り行われた『URAムー民ナイト~灰色の夜~』に参加させていただくことになった経緯で、そのネタ仕込みのために『月刊ムー』という老舗オカルト雑誌のことを「思い出す」ことになった。

「思い出す」と言っても別に忘れていたわけではないし、気が向くと購入したりもしていたのだが、さすがに毎号欠かさず買ったり、少年期の頃のように隅の隅々までなめるように読み尽くすような事はしていなかった。

しかし、いざ「思い出そう」と思ってみても、もう昔のやつは捨ててしまったしで、思い出そうにも思い出す材料が無い。さてどうしよう?と思っていたところで思い出した。

「そうだ、ムーのサイトに目次一覧が公開されていた。アレを使えば、きっと思い出せるはずだ」

うしし、とムーのサイトにアクセスしてみたが、サイトはリニューアルされてしまっていて目次一覧など影もカタチもない。仕方無いのでWebのアーカイブが保存してあるサイトで苦労して探しだし、1979年の創刊号から2005年12月号(通算301号)までの目次データそのすべてを保存することができた。

ムー目次一覧(Webアーカイブ)

ただ、この生データを眺めているだけでは何もわからない。なので、それをデータベースに入れて、簡単なWEBアプリを作って統計っぽいことをしてみることにする。そのアプリは、公開していいのか微妙なので公開しませんが(データはムーのモノなんで)、目次データを分析してみて気付いたことを書いていくことにしよう。


■ムーは誰が書いているのか?

目次一覧にあった記名記事のライター名を簡単に集計してみたのだが、その結果はわりと意外なものだった。

ムーという雑誌はゴリゴリの専門誌というわけじゃないんだけど、ある程度偏った知識によって構成・編集されていることは誰の目にも明らかだろう。だから、そのライターも少数精鋭で書き回ししてるんじゃないかと思っていた。だが、データが弾き出したライターのユニーク数は「803」。

創刊から301号までの間でなんと803人ものライターが書いているのだ。言い換えれば日本には803人ものオカルト・ライターがいたのである。そんなにいたんだ(笑)

そして、「一人だいたい何本くらいの記事を書いているのか?」という統計を取ってみると、以下の結果になった(1号~301号まで)


1本しか書いていないライターが454人、59.6%もいる!

つまりこの結果からわかるのは、ムーに1本くらい記事が掲載されたライターなんて掃いて捨てるほどいるわけであり、1本掲載されたくらいで「俺、ムーに書いたんだぜ」なんて自慢しちゃイケナイということである(自慢する場面があるか?ということは、この件に含まないことにする)

ならば何本掲載されれば、そこそこ自慢できるだろう?それを知る為に「総記名記事数」を「ライター数」で割ってみると、

4104(総記名記事数) ÷ 803(ライター数) = 5.11…

――というわけで、だいたい5本掲載されれば、そこそこ自慢できて、そこそこ常連ライターということになろう。きっと。ちなみに5本以上掲載しているライターの数は157人。この日本には真のムー常連ライターが少なくとも157人以上居ることになる。

そこで少し気になるのは、「丁度5本ライター」だ。彼らは、とりあえずムー常連と名乗れる称号を得、そしてそれに飽きたらず多方面に発展していこうと考える、バランス感覚のすぐれた、ある意味ムーを踏み台にした(イイ意味で)人物であるに違いない。

そこでデータを当たってみると、山口敏太郎飯野文彦赤間剛加納一朗谷崎テトラ、など唸らせるラインナップである。

そしてベスト10は以下の通り。南山宏氏が5位なのは「南山宏のちょっと不思議な話」が入っていないことが大きいだろう(元データにライター名の記載がなかった)、また翻訳の記事なども含めれば並木氏の次は間違いなく南山氏になるだろうと思う。日本の超陰謀論の第一人者である鬼塚五十一氏が2位というのは、ちょっと意外であった。

1位 並木伸一郎(343本)
2位 鬼塚五十一(128本)
3位 泉保也(116本)
4位 山口直樹(101本)
5位 南山宏(100本)
6位 君島史隆(96本)
7位 中野雄司(87本)
8位 東雅夫(80本)
9位 藤島啓章(70本)
10位 不二龍彦(65本)
(1号~301号まで)
(※2012.02.11 抜けデータの追加とデータの精度を上げるための修正を施した為に改訂しました)

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